川越百万灯夏まつり

川越百万灯夏まつりは、江戸時代後期の嘉永3年(1850年)、川越城主・松平斉典(まつだいら なりつね)の徳をしのび、軒先に灯篭を掲げたのが始まりといわれ、祭りの期間中は川越駅から一番街までとその周辺に色とりどりの提灯が飾られます。

川越百万灯夏まつり


提灯


祭り期間中は、パレード・手づくりみこしパレード・ふれあいサンバ・お囃子演奏会・火縄銃の演武・地元商店街のイベントなど盛りだくさんな内容です。

イベント1


イベント2


イベント3


その中でも川越藩火縄銃鉄砲隊による火縄銃の演武は空砲ですが、とても迫力があり、小さなお子さんはその大きな音に驚いて泣いてしまうこともあります。

川越藩火縄銃鉄砲隊


火縄銃


鉄砲隊


夕暮れ時、提灯に明かりが灯ると、とても幻想的になりいつもの見慣れている川越とは違った雰囲気になります。

灯りが灯った提灯1


灯りが灯った提灯2


夕暮れ時から日が完全に落ちて夜になると、毎年各団体が個性あふれる自由なダンスパフォーマンスで、川越百万灯まつりは最高潮に達します。

イベント4


川越百万灯夏まつりの開催中は歩行者天国に伴う交通規制のため、車はもちろんバスなども迂回運行となるので注意が必要です。 可能なら車ではなく、電車で来たほうが無難です。

交通規制


川越百万灯夏まつりの詳細は下記リンクからどうぞ。
川越百万灯夏まつり 2011
川越百万灯夏まつり 2010
川越百万灯夏まつり 2009
川越百万灯夏まつり 2008

冒頭、川越百万灯祭りの起源で紹介した松平斉典公について。

松平斉典は、徳川家康の次男結城秀康の五男直基を藩祖とする越前家の家柄です。 松平斉典の墓所は、喜多院慈恵堂(本堂)の裏手にある松平大和守家廟所にあります。

喜多院慈恵堂(本堂)


松平斉典の墓所


松平斉典のお墓


松平 斉典(まつだいら なりつね)
 寛政9年11月2日(1797年12月19日)~
 嘉永3年1月20日(1850年3月3日)
 武蔵国川越藩第4代藩主
 直基系越前松平家8代 官位は従四位上、少将

略歴
寛政9年(1797年)
 川越藩第2代藩主、大和守直恒の四男として生まれる。
文化13年(1816年)
 川越藩第3代藩主、松平直温が22歳で死去したため、
 川越藩松平家の家督を相続。従四位下大和守に任命される。
文政8年(1825年)
 11代将軍・徳川家斉の第24男・紀五郎(のちの松平斉省)を
 養子にする。  また江戸藩邸に藩校・博喩堂を創設する。
文政10年(1827年)
 侍従に任命される。
天保6年(1835年)
 従四位上少将に任命。
天保11年(1840年)
 出羽庄内藩14万8000石への転封を命ぜられる。
 (川越藩が庄内藩に転じ、庄内藩・酒井家は越後国長岡藩に
 長岡藩・牧野家は川越藩に転封する三方領地替え)
天保12年(1841年)
 荘内農民の反対運動により中止。
 かわりに武蔵国内で2万石加増の幕命が下る。
嘉永元年(1848年)
 川越城本丸御殿を造営。 
 当初は16棟 1,025坪(約3,388㎡)の規模でしたが、明治維新
 後次第に解体され現在は大唐破風造りの玄関、書院造りの
 大広間、移築復元された家老詰所が残っています。
 これは今日に残る川越城唯一の遺構で、全国的にも貴重な
 建築物です。
嘉永3年(1850年)
 死去、53歳。

川越 観光ブログTOPへ

この記事へのコメント